研究課題に関する図書文献の購入、各大学図書館等における資料収集、これらの文献の検討と整理、諸研究会における発表と討論等により、以下のような研究上の新知見を得た。1.14世紀初頭に活躍したマイスター・エックハルトは、従来の思想史では中世後期の思想家と見なされることが多いが、むしろドイツ語圏において近世神秘思想を成立させた代表的思想家と位置づけるほうがふさわしいと考えられる。その主要な理由は、彼が述べた突破の思想と魂の中における神の子の誕生という教説が、超越的な神性ないし一者との合一に集約される古代および中世の神秘説とは異なり、人格神を人格神たらしめるものと人間を人間たらしめるものとの間には実はまったく差異がないとした点、また一般的抽象的認識ではなく具体的な個々人の内面世界において突破ないしイエスの誕生という魂のドラマが演じられるとした点に求められる。2.エックハルトの自由論は、人間がその被造物性から脱却することに実践的基盤を持つことを特徴とする。この脱却=自己解放は人間精神の透明化であると同時に砂漠化でもある。しかし、この砂漠というメタファは、初期キリスト教の砂漠の修行者が幻視した神の栄光としての、あるいは近世初期の女性神秘家が強調した神と魂とが出会い合一する場としての側面を持つ以上に、人間精神の荒廃化という側面をも担っていることが注目に値する。ヨーロッパ近世を特徴づけるニヒリズム思想の淵源の一つである。3.魂の砂漠化の果てに起こるドラマは、突破ないし神の子の誕生である。これは同一の魂の事件を語るエックハルト独自の思想であるが、それぞれに用いられる語彙は異なる。前者は抽象的語彙によって、後者は植物的イメージと重なるヴィジョン的語彙によって語られる。両者の詩的表象ないし形象が、たとえばシレシウス等のバロック期の詩に影響を与えたことは特筆されるべきことである。
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