研究分担者 |
ARUN CawーJen シーナカリンウイロート大学, 社会科学部, 助教授
NOM Ngamnisa シーナカリンウイロート大学, 社会科学部, 助教授
KAWEE Worrak シーナカリンウイロート大学, 社会科学部, 助教授
PLUBPLUNG Ko シーナカリンウイロート大学, 社会科学部, 助教授
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研究概要 |
本研究ではチャオプラヤ川流域,特にアユタヤのイスラム共同体の来歴と実態を中心に解明を行った。 14世紀中期以後国際都市として発展したアユタナには,諸外国人が居住し,外国商館や教会などが建てられた。外国人のなかでは中国人と並んで活躍したのがイスラム教徒であった。この事実は一般に認められているところであるが,ながでもペルシア系ムスリムが重要な役割りを果たしたのである。 本研究においては,アユタヤ期に成立したイスラム共同体をふくめて,現在アユタヤ市に所在する21のイスラム共同体について調査を行い,その時系列的発展(アユタヤ時代→ラタナコーシン王朝初期〔1782〜1851〕→近代化時代〔1851〜1910〕→近代〔1910〜1932〕→現代〔1932〜1993〕)を明らかにした。これらイスラム共同体の中心をなすものはマレー系ムスリムであるが,その源流は1767年アユタヤ王朝滅亡後,1782年ラタナコーシン王朝によってタイの社会秩序が回復した後,ラーマ1世及び3世による南タイ鎮圧戦争の結果,捕虜や奴隷として強制的にタイ中部に強制的に移住させられたマレー系ムスリムである。特にパタニからの移住者が中核となっている。また1782年以後もペルシア系,インド系,そしてアユタヤ王朝の水軍として活躍したチャム系ムスリムの共同体も復活し,現在は21のモスクワを中心にイスラム共同体が存在しているわけである。 これらムスリムは,タイ仏教社会のなかにあってその宗教社会を保持しつつも,タイ人との混血,タイ語の使用,タイ的習慣や立居振舞いなどからも明らかなごとく,タイ社会と文化に同化し,所謂「タイ・イスラム」と規定されるイスラム社会を構成している。本研究では,こうしたタイ・イスラムの実態を解明する貴重な手がかりを得たことが特筆される。
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