『国富論』第1・2編を「経済発展の理論」として統一的かつ内在的に再構成するという当初の目的は、第2編第2章の長大な信用制度論の実証的・理論再検討に十分手が届かなかった点で、完全には遂行できなっかた。経済発展の理論における「貨幣」の位置や意義の解明については、今後の課題として残ったという事である。しかし、そのほかの目標はほぼ満足しうるほどに達成したと言ってよく、予期していなかった新事実の発見も含めてその要点を箇条書きすれば、以下のとおりである。 (1)『法学講義A』でもすでに、『国富論』と同様に、市場社会には必ず「自然的均衡」があるという考え方はあったが、「価格」はまだ財の数量と単純に反比例すると捉えられており、労働価値説は未確立であった。 (2)スミス労働価値説は、その基礎にある価値尺度論が「時と所」の異同の組み合わせにおうじてことなる4つの理論次元をもつものとして構想されていた。すなわち「安楽と自由の犠牲」である「労働」は「時と所」を問わずつねに「等しい価値」をもつが、貨幣が正確な価値尺度でありうるのは「時と所」が同じ場合だけであり、異なるときには「穀物」が「近似的な」それであるから、経済成長の理論的解明は労働と穀物を基準に組み立てらるべきであると。 (3)スミスは経済成長の推進力を分業の発展にみたが、発展のためのファンドの大きさは「維持しうる労働量」と「維持しえた労働量」との差にあるから、したがって労働の投入産出のエネルギー転換効率がもっとも高い穀物生産の効率性が、経済発展=分業の進展の程度を究極的に規定していると説くことになった。換言すれば、「維持しうる労働量」を実物的に表す「総需要」は、市場での交換・取引をつうじて「維持しえた労働量」内部の社会的配分替え(=分業構造の変化)を引き起こすが、この配分替えの基準が、いわゆる生産3要素の自然率つまり「自然的均衡」に他ならないという主張である。
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