この研究は19世紀前半イギリスについて、商業文明に関する政治的・道徳的・経済理論的な判断をもとにした経済構想の諸潮流の交錯を探ろうとするものである。 第1に、ロマン主義の商業社会観を問うという関心からカーライルのとりわけ『過去と現在』(1843)の議論を検討した。カーライルが「イングランドの状態」問題として抉り出す現代は、拝金主義と享楽主義が支配する社会である。そこには、人々が全体のうちの生きた部分として無意識のうちに仲間たちと結合できた原初状態、その楽園的な姿とは遠く隔たった現代の病弊が滲みでている。これに対して、カーライルは産業の総帥に導かれた「労働の組織化」という解決を探る。カーライルによれば、人間はとくに現金払い関係のなかで個人主義的な利益-損失哲学の虜となっていたが、この道筋によって、「仕事の騎士道」を軸とした統一性の回復が図られるのである。このヴィジョンの根底には、仕事こそが崇高であり、自己意識から解放して魂の調和をもたらし得る、という認識があった。 第2に、フランス革命後の汎ヨーロッパ的な知的世界の地殻変動という広がりのもとでトクヴィルとJ.S.ミルの〈多数の専制〉論を対比的に検討した。トクヴィルは1835年時点で「諸条件の平等」というアメリカと英仏に共通する傾向のなかに、平等の隷属(多数の支配)の危険性を察知し、1840年には〈多数の専制〉として据え直した。ミルは1835年には、平等化にまつわる問題をアメリカの特殊性に帰したが、1836年以降、ミドル・クラスの存在に着目するようになった。1840年にミルは、貴族と貧民との階層格差が残存するイギリスにおいても、経済社会の進展に伴い活力の面で見た場合にミドル・クラスの比重が増大し、結果的にアメリカと同様の平等の状態に近づく、という理解に達した。こうしてミルは、『自由論』(1859)にみられるような〈多数の専制〉論の前提を獲得した。
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