本年度は1770-1830年におけるゴシック小説に登場する女性に焦点を絞り男性性に対する女性性を検討した結果次のような知見がえられた。監禁状態されたゴシック小説のヒロインは誰しも自己と環境の差異が不文明な状態に置かれている。彼女は「他者/性」の真直中に放りだされ、自分自身の存在を放棄せざるをえない。ヒロインの自己存在は薄明地帯に置かれることになる。ヒロインが翻弄されるのは自己のアイデンテティの謎と自己と「他者/性」との関係の曖昧性によってである。いいかえれば、ヒロインは男性性と女性性のあいだで翻弄され、おのれの中における母の性、娘の性、そして女の性のあいだの境界上で絶えず迷わざるをえなくなるのである。このときヒロインは意識上の状況をファッションとして見ることによってしか自己定義ができない。そして自己定立のモデルとして選ばれたのが母であった。だがゴシック小説には母はほとんど存在しない。しかしこの不在なる母はいつも遍在しイマゴとしてヒロインを抑圧することになるのである。こうした性格を持つヒロインが男性性を標榜する廃虚の城内を徘徊するのは意味のないことではないのだ。ゴシックの城は外面の荒々しい男性性とは対照的に内部は混沌としたしなやかな空間をなしている。いうなれば父性という権威のぼろぼろに崩れ落ちる外郭の下部になる母なる闇を隠しもっているのが廃虚の城のサイキなのである。ここにまさにアンキャニな女性性の意識が登場することになったのである。 以上の議論は「薄明下の女性性-イギリスゴシック小説のヒロイン」と題して発表された。
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