大形円墳である月の輸古墳の築造は、これより上流地域にあたる美作地方のほぼ全体にきわめて大きな政治的インパクトを及ぼしたのではないか、という認識を前提として、本研究ではまず各個墳丘の情報獲得に努めた。とりわけ、墳丘はすべてに備わった要素であるため、比較検討をおこなう第一候補として墳丘測量を集中的に実施した。 墳丘測量調査の対象としたのは、4基の前方後円墳(真加部観音堂1号墳・琴平山古墳・殿塚古墳・奥の前1号墳)、6基の前方後方墳(美野高塚古墳・美野中塚古墳・西ノ宮古墳・田井高塚古墳・岡高塚古墳・諏訪神社裏古墳)である。これらは、いずれも美作地方における「月の輸以前」の首長墳である可能性をもつものである。「月の輸以前」の美作地方では、円筒埴輪の使用がきわめて限られていたことが明らかにされつつあり、これらの諸墳の中では美野高塚古墳と奥の前1号墳で円筒埴輪片が採集された。 また、美作西部地域における前期古墳の指標を得るべく、川東車塚古墳の発掘調査をおこなった。後円部上は著しい撹乱を受けていたが、前方後円墳としての墳丘築造企画、埋葬施設の種別と構造を明らかにし、祭祀土器は二重口縁壷形土器のみで円筒埴輸は使用されていなかったことを確認するなど、大きな成果をあげることができた。 これら一連の調査活動を進めながら、諸墳の位置関係をデータ化する方法の検討をおこなった。なぜならば、山がちな美作地方では自ずと往来ルートが限られ、往時の首長ネットワークを措定しやすい、また、築造時期が前後しても首長墳としての「機能的持続性」「象徴的持続性」を念頭におくべきである、と考えたからである。そして、墳丘築造企画に注目して、検証されるべき仮説としていくつかの築造モデルを提示した。
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