研究概要 |
震災復興のまちづくりは,2年目をむかえ,住宅供給をいかに既成市街地でなしえるかに焦点が集まっているが,困難である。こうしたなか,アジア自由市場が震災当年の1995年に,長田区細田5丁目の区画整理事業の買収済用地を利用して,実施された。しかし,資金的な面から単発のイベントに終わり,イベントとしての需要はその後も,アジア映画を見る会や,アジア料理を楽しむ会など,また,まちづくり協議会のイベントへの協力依頼として存在するものの,アジアタウンの建設には向かっていない。また,アジアタウン協議会は、そうしたまちづくり活動の視点を持ってむらず,ボランティアの若者を中心とした「アジア的お遊び」になる傾向があり,住民とは意識が大きくずれている。 にもかかわらず,第二種再開発地区の大若地区では,飲食店の生き残りをかけて,アジア的な色彩を検討しだした。ボランティア系統の協議会とは別途に,まちづくりに活動する長田の良さを生かしたまちづくり協議会の学者,我々は別途に働きかけ,アジアタウンの可能性を探っている。 また,当初から,本研究者と連絡をとり,アジアタウン建設にむけて協力してきた,韓国三民会のメンバーが,個人的に靴の街ショーウィンド-を建設し,個人的にベトナム料理を引っ張ってこようとしている。 未だ,アジアタウン建設は,胎動のままであるが,長田の居住・産業マインドが冷えているなか,アジアタウンの必要性はますます強まっている。
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