戦後改革のひとつである農地改革が実施されて実に50年が経過し、その改革が当初想定し、創出した戦後自作農は変貌し、かかる農地改革自治体に対する再検討が要請されている。そうした状況の下で、かつて「東北階段」の典型と言われた庄内地方の一つのムラ(村落)レベルでの土地と労働力の戦後50年をトレースする作業を本研究では追求している。 平成8年度において実施したこととその概要は次の点である。 第1点は、農地改革前、改革後、1950年代、1960年代、1970年代、1980年代そして1990年代の現段階までの調査個票が存在するので、その土地と労働力がどのような変容をしたかをデータベース化の作業をしながら行った。(1970年代までの調査個票は労働科学研究所が定点観測した調査票をもとに、80年代と現段階については加藤が実施した調査をもとにしている)。このことにより、戦後変動過程、具体的には土地移動と労働力移動があきらかになる。但し、分析は次年度に行うこととし、本年度は膨大なデータの入力作業を中心に行った。 第2点は、調査を実施した山形県酒田市旧北平田村は、農地改革と交換分合を同時にすることにより、比較的おおきな自作農を創出したといわれ、その農地改革は、いわゆる北平田方式とも言われた。その点を、ムラ(村落)レベルで検証する作業をおこなった。その場合、村方文書の資料の収集をあわせて行い、具体的な実態が通説と言われているものとは違うことを発見した。従来は、所有規模3町を上限としたために、かつての下層農家も比較的大きな自作農になったといわれていたが。そうではなく、交換分合という手段を使い、かつての自作・小作大経営に優等地をあつめたという実態が明らかになった。
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