研究課題/領域番号 |
08680179
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研究機関 | 立命館大学 |
研究代表者 |
吉越 昭久 立命館大学, 文学部, 教授 (40104682)
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研究分担者 |
川嶋 将生 立命館大学, 文学部, 教授 (30204720)
古賀 慎二 立命館大学, 文学部, 助教授 (10234725)
片平 博文 立命館大学, 文学部, 教授 (60128569)
高橋 学 立命館大学, 理工学部, 教授 (80236322)
山崎 正史 立命館大学, 理工学部, 助教授 (40109038)
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キーワード | 河川景観 / 景観復原 / イメージ / 衛星データ |
研究概要 |
京都の鴨川は、大都市を流下する河川にもかかわらず良好な水質を保ち美しい景観を呈するということでは特異で、それは京都を代表するイメージを持つ場所として古くから人々に親しまれてきた。そこで、平安京造営時以降の鴨川の景観を文献・地図・絵・写真(地上写真・空中写真・衛星写真)などを利用して復原し、現在の鴨川の景観がいつ頃形成され、また現在の鴨川についての良いイメージがどの時期に形成されたかについての研究を行った。 まず、現在の鴨川について、水文環境、景観、イメージなどの側面からの検討を行った。現在の鴨川の水質や景観は、河畔のビル建築などによって若干問題が起こりつつあるものの、概して良好で、そのことは多くの学生に対するイメージ分析などからも確認された。 次に、鴨川の景観やイメージを歴史的に検討した結果、江戸時代の初期に行われた寛文新堤の建設が、最も大きな影響を与えたことがわかった。この工事に伴って、川幅が100〜120mに狭められた。このため、旧河川敷で市街地に組み込まれた場所は、遊興的な性格を持つ街に変貌していった。また、寛文新堤は、石垣の護岸にような形態で、緩い傾斜のために河川敷に降りることが容易であった。このような特徴に加え、当時の政治・社会・文化的な背景を受けて、鴨川をめぐる状況にも変化があらわれた。この時期になると、これまでの鴨川の暗い、恐ろしいイメージが薄れ、芸能の場、日常的な土地利用・水利用の場という明るいイメージへの転換が起こり、いわゆるウオーターフロント・ブームが庶民のレベルにまで広まった。その後、明治時代に入って以降、琵琶湖疏水の導入などのためにさらに川幅が狭められ、土木工事が実施されたが、基本的には寛文新堤が建設された江戸時代初期に、現在の鴨川の景観やイメージにつながる変化があったことがわかった。
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