研究概要 |
1 前年に引続いて,近年ようやく注目されはじめた北日本に特有と思われる防御性集落の実態を解明するための基礎作業として,青森県・岩手県の関連遺跡の現地踏査とデジタル撮影を実施した。また銀版出版についても、引き続き,フィルムスキャナーでデジタル化して資料の集積を進めた。さらに立地条件を検討するために,昭和20年代に撮影された米軍の空中写真を追加購入した。その結果,従来,蝦夷の居館と言われていた遺跡の多くが,新たに防御性集落の類型と見做された。こうした特異な集落の立地は,低平台地の先端部を利用して空掘で区画するパターンと、高地上を利用して空掘で区悪するパターンの二つがあることはまず確実となった。これは弥生時代の戦乱期に誕生した高地性集落との関連を示唆しているものと理解してよいようである。 2 各地の遺跡の年代観の検討を進めたが,おおむね10世紀から11世紀の間に収まるとしてよさそうである。 3 防御性集落自体についても遺物の分析を開始したが,鉄などの生産遺構が目立つように思われる。ただ内部には農業生産の痕跡がないので,空掘の外側に存在したものと思われる農地との関係をも明らかにしていかなければならない。外部の農地との関わる遺跡は青森県津軽地方に多いようである。 4 こうした特異な集落がなぜ北方世界のこの時期に誕生したのかについて,なお仮説の域を出ていない。これについてはさらに東北南部の政治情勢との関係を,引続き検討していきたい。おそらく律令国家の中華思想との接触が重要な契機となっている。 5 さらにサハリン地方での方形居館の存在についても気がついた。これが北海道とどう関わるか,あるいは別系統なのか,最終年次に検討してみたい。
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