天文学的発見に関する著作におけるガリレオの言語表現の特徴がどのように形成されていったか、その起源を探っていくための第一の研究対象として、パドヴァ時代の前半、すなわちまだ望遠鏡の製作とそれに続く天文学領域での観測と発見が行なわれる以前の時代に、彼が関わったと思われる天文学の著作『チェッコ・ディ・ロンキッティの対話』をとりあげた。この作品の分析をとおして、民衆的な諧謔精神をもったルッヅァンテの「対話体」の経験が、後のガリレオの著作の言語表現に少なからぬ影響を与えた可能性を示唆することができた。 1604年に出現した新星はアリストテレス派とコペルニクス派の間に論争を引き起こした。前者は月より上は不変の世界であるためこの新星を月より下での現象だとみなしたが、後者は視差が観測されないことから月より上の領域での現象と考えた。ガリレオも後者の考えを支持してその主旨の公開講義を行なった。この彼の講義に対してアリストテレス派からは『新星をめぐる論議』という著作が出版されたが、逆にコペルニクス派からもこの著作に対抗するための批判の書が出された。それが『チェッコ・ディ・ロンキッティの対話』である。 ガリレオが関わった可能性の高いこの著作では、パドヴァ方言を用いた二人の粗野な登場人物の台詞のやりとりで『新星をめぐる論議』が批判されていく。これは明らかにルッヅァンテの劇作品を模倣したものである。自然科学の領域の議論をユーモアを交えた対話のなかで展開していく、後年のガリレオの主要著作のひとつの原型がここには見られる。そういった意味でパドヴァ時代のルッヅァンテ経験はガリレオにとって非常に貴重なものであったのである。以上の研究結果についてはイタリア学会第45回大会(1977年10月18日・東京音楽大学)で「ガリレオのルッヅァンテ体験-『チェッコ・ディ・ロキッティの対話』を中心に-」と題して発表した。
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