2001年7月1日、震災後6年半を経た夏、本研究の定点調査の対象地であった神戸市長田区鷹取東地区は、被災地で最も早く復興区画整理事業の完工記念式典を挙行した。多くの困難を乗り越えてきた地元住民の喜びはひとしおのものがあった。それでも、復興を果たせないままに取り残された空き地が点々と見られ、また、住宅や営業の再建を達成した住民の前途はなお借金返済、営業不振で多難な状態である。 本研究の最終年度にあたり、研究課題である「阪神大震災の文明論的意義-都市神戸に置ける「近代の終焉」の実証」を達成するための総合的考察を行なった。その要点は以下のようである。 1 震災被害の実態は、社会的貧困の集積されているインナーシティに集中した。 2 各種の現代的都市災害が発生したが、発生時刻が未明であったことによって最低限に抑えられた。 3 神戸市の都市経営は典型的な発展を示していたが、それによって防災対策が後回しにされてきたことは否定できない事実であった。そして、復興の方策においても都市経営的な態度を続け、多くの問題を引き起こしている。そういう意味で、近代化の先頭を走ってきた都市神戸はまさに「近代の終焉」を体現している。 4 市民も防災への備えを忘れ大きな苦難を経験したが、困難のなかに復興に取り組んできた。ボランティア、NPO、NGOの活動の展開は、そこから生み出された新しい活動である。 5 現代の日本の大都市は一つの「リスク社会」を形成しており、地震の活動期を迎えている今日、新たな文明論的課題を提示している。
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