研究概要 |
今年度は特に『鈴木春信の春画について』に関する考察を行った。 本研究の第一の狙いは鈴木春信の春画を一図々々出来るだけ詳しく読み解き,江戸時代の春画の楽しみ方を再現しようといふ所にある。浮世絵春画といへば,今ではその露骨な性器表現のみに目を奪はれて単に性欲を刺戟するだけの煽情的な絵と見なされがちであるが,実は浮世絵春画には様々な趣向が施されてをり,それらが春画を単なる煽情的な絵にしてゐないのである。例えば図中に描き込まれた背景や小道具,図中に書き込まれた詞書(図柄に関連した解説文)や画讃(図柄の情況を暗示する和歌,漢詩,川柳,狂歌など),また登場人物たちの側に書き込まれた書入れ(登場人物の会話を記したもの)などといつたものである。当時の正常な春画の鑑賞者はさうした趣向を読み解きながら性愛世界の多様な在り様を楽しんでゐたのである。 本研究の第二の狙いは鈴木春信が得意とした「見立絵」の趣向の意味を,春画を通じてより鮮明にする所にある。「見立絵」とは辞書によると和漢の古典や故事を題材にしながら,人物や場景を当世風俗に写し換へた絵のことである。作者はその転換に自らの教養と機知を注ぎ込み,鑑賞者はその謎解きを楽しむものであるが,研究代表者は「見立て」といふ著想の奥に単なる趣向を超えて日本文化に特徴的なものの見方の基盤が潜んでゐるやうに思ふのである。その特徴的な「ものの見方」とは「雅なるもの」と「俗なるもの」を重ね合はせて見るといふものであるが,「俗中の俗」とも見られる日常の性風俗を描きながら,そこに和漢の古典の「雅なる」世界を重ね合はせた春信の「見立絵」春画は,見立絵の奥の意味を考察するのに最も適してゐるものと考へる。 そして第三の狙いは鈴木春信の春画を通して,性といふものに対する江戸人の眼差しの特色を自づと浮き彫りにする所にある。江戸時代には春画は一般に「笑絵」と呼ばれてゐたことからも察せられるやうに,一般の江戸人は人間の性を禁忌の対象とも狸褒なものとも見なさず,「笑ふべきもの」として見てゐたのである。笑ふべきものといつても,それは下品な笑ひや潮笑的な笑ひではなく,そこはかとなく見る者を微笑みに誘ふといつたやうな種類の笑ひである。
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