研究課題/領域番号 |
12410086
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研究種目 |
基盤研究(B)
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配分区分 | 補助金 |
応募区分 | 一般 |
研究分野 |
日本史
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研究機関 | 筑波大学 |
研究代表者 |
今井 雅晴 筑波大学, 歴史・人類学系, 教授 (80111350)
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研究分担者 |
浪川 健治 筑波大学, 歴史・人類学系, 助教授 (50312781)
根本 誠二 筑波大学, 歴史・人類学系, 教授 (10250995)
山本 隆志 筑波大学, 歴史・人類学系, 教授 (50191416)
長谷川 成一 弘前大学, 人文学部, 教授 (20013287)
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研究期間 (年度) |
2000 – 2003
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キーワード | 秋田藩 / 盛岡藩 / 津軽藩 / 高野山清浄心院 / 本願寺 / 供養帳 / 申物帳 / 師檀関係 |
研究概要 |
戦国時代〜江戸時代前期に、奥羽地方に中央仏教勢力がどのように浸透していったか。この点に焦点をしぼり、次のような作業を行い、考察をくわえた。(1)清浄心院所蔵の清浄心院・金光院供養帳の整理とデータ・ベース化により、秋田・庄内・仙北地方での高野山勢力の浸透は、大名・家臣クラスから次第に町・湊・鉱山の富裕者にひろがってゆく。秋田藩主佐竹家の清浄心院と師檀関係を結んでいることに見られるように、政治権力と提携する形で展開した。(2)また盛岡藩には厖大な藩史料が残されているが、その一部の翻刻・吟味をくわえた。南部家も遍照光院との師檀関係を江戸期にも継続していることが確認されるが、それが領内真言宗寺院統制の中心になっている。佐竹・南部らの大名家は戦国期からの師檀関係を領内全域に広げつつ、領域統治の基礎固めに利用していた。(3)大谷大学所蔵の粟津申物帳の奥羽関係記事のデータ・ベース化を行い、曹洞宗信者の最上氏の一部にも浄土真宗がはいっていること、また越前三国から津軽鰺ヶ沢に移住した盛家は越前以来の本願寺との関係を継続していることが確認される。この盛家の近世文書には本願寺参詣を示す史料もみられるが、こうした文化的力量は同家が津軽藩にて役負担に応ずる基礎を形成していた、と考えられる。 こうしてみると、奥羽地方では、大名家と中央仏教勢力とが師檀関係などにより結びつつ、領内に教線を広げたのであり、これが文化的領内統合の基礎のひとつとなっていた、と予測される。
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