研究代表者の齊藤は、昨年度の18世紀演劇に見られる庶民(貴族の下の階層である市民、下層民)の姿を追ったが、今年度はナポレオンの侵攻以後の19世紀演劇に焦点を絞り、貴族階級に取って代わって、新たな政治的主体となる市民階層が、どのような描かれ方をしているかを分析した。革命直後の過渡期の劇作家たち(ジロー『困惑した家庭教師』、ノータ『市場』、ボン、『ルドロ』)のオペラ・ブッファ風写実喜劇から、本格的な社会劇や市民劇(フェラーリ、ジャコメッティ、ディ・ジャコモ、トレッリ)へと進むにつれて、地方的特殊性を越えて広がる新たなイタリア社会とそれが抱える問題点や、市民の日常生活とその等身大のドラマが描かれるようになり、こうして登場人物の自己意識も、地方の庶民からイタリアの国民へと次第に変貌して行く様を具体的に跡付けることができた。また、ここで興味深いのは、19世紀の劇作家たちの新たな写実精神のモデルとなったのは、実は18世紀ヴェネツィア社会を描いたゴルドーニの写実劇であったことである。 研究分担者の天野は、マンゾーニの長編小説執筆開始時における歴史に対する認識の深まりと被支配階級の庶民を主人公とする構想の中に、《国民》意識の発達と成熟を跡づける試みを推進した。マンゾーニは1821年3月頃、悲劇『アデルキ』の創作を中断して17世紀の歴史に関する史料収集を開始し、4月下旬には後の『いいなづけ』へと発展することになる長編小説の執筆に着手している。そこで、まず最初の創作に属する「序論」の第一草稿において、すでに歴史上の事実と文学的創作の関係、および被支配階級に属する無名の一般民衆の中に主人公を設定する方法論などが確立していたことを確認するとともに、前者については『アデルキ』の推敲作業との密接な関連を、また後者については、いまひとつの悲劇作品『カルマニョーラ伯』第一草稿にその萌芽が見られるものの、そこからの進展がきわめて大きなものであったことを明らかにした。
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