3年に及ぶ本科研費研究を一定纏める必要がある。そこでは従来の研究と視野の異なる次の3点を中心に行うことにした。第1に、辺境地、特にシベリアと北カフカースの動向が所謂「ネップ」の導入に決定的役割を果たした。第2に、割当徴発から現物税への交替はそのやり方自体は従来と殆ど変更がなかった。第3に、21年の大飢饉がネップ導入後の政策実施過程を歪曲させ、この体制の成立過程に重要な影響を及ぼしたことを解明する。 この分析視角による考察で、次のことが明らかとなった。第1に、割当徴発の主要な対象地となったシベリアと北カフカースでは、割当徴発を継続するとのモスクワ中央の方針にもかかわらず、市場の展開によって自然発生的に割当徴発は停止された。このため、全ロシア的規模で現物税体制が構築されることになった。第2については、レーニンをはじめとする党指導部は現物税体制は割当徴発体制の延長で設定され、特に凶作の影響が深刻であったシベリアでは、まったく従前の強制的措置が継続された。実際、割当徴発制度と現物税制度での農産物徴収の方法を区別するのは難しい。第3に、ボリシェヴィキ指導部の想定を超えて、市場が全国的規模で展開した。これは従来は特に農民のこれまで抑圧されてきた「小ブル的心理」の発露の結果であると解釈されてきたが、それでは、当時共和国の殆ど全土を覆っていた飢饉(農民経営での余剰の欠如)の事実と完全に矛盾する。この現象は、飢餓民が食糧を求めて担ぎ屋となって全土に溢れだした結果にしかすぎず、通常の商業形態の復活とは区別されなければならない。要するに、飢饉の結果が、ネップ体制を生み出したのであり、その意味で、ネップ体制の成立は、政策理念的でなく、自然発生的である。
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