出版物としての嘉興大蔵経を構成する諸経典が、それぞれどのような人々によって、どのようにして刻印刊行されていくのかを個別具体的に跡づけていくことで、当該出版物がどのような機構のもとで出版され、またその出版物が当時においてどのような意義をもったのかが明らかとなって来る。「〓山徳清与方冊大蔵経」<曹溪南華禅寺建寺千五百周年紀念国際禅学研討會論文集所載>では、嘉興大蔵経出版の中心人物としてすぐその名が挙げられるのは紫柏達観であるが、しかし、当初最も功績があったのは、その弟子の密蔵道開であり、達観処刑の後には、〓山徳清が法友としての立場から達観の遺志を嗣いで、全面的支援をおこなったことで、刊行事業がようやく継続され後の完成につながったこと、またそうした支援を可能にさせた徳清の思想がいかなるものであったかを明らかにした。「関於曹溪南華禅寺建寺千五百周年紀念重版徳清勘校六祖壇經的初歩考察」(曹溪第二輯所載予定)では、嘉興蔵版の六祖壇經と〓山徳清勘校の六祖壇経、その他同時代刻印流行せる諸版の六祖壇経とを比較対照しつつ、〓山徳清勘校本の特色を考え、且つ嘉興蔵版が当時どのように受容されているのかを考察した。
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