第二次世界大戦直後のドィツは、連合国による統治の下でナチズムと対峙し、その思想に支えられた社会制度を廃して民主主義に基づく制度を確立するためにさまざまな取り組みを実施した。やがてアメリカ・イギリス・フランスによる統治区域とソヴィェトにょる統治区域はそれぞれドィツ連邦共和国とドィツ民主共和国という二つの国家による歩みを進めることになったが、両国家においてはドイツの未来を担う若年者に対する保護・育成政策は重要な位置を占めていた。その中でも民族的に異なる、あるいは異質な文化環境の中で育った人々を理解すること、また、彼らと共存していくための教育の重要性が指摘され、実施されていた。 しかし、このように第二次世界大戦後のドイツでは、若年者に対する他民族・異文化との共存のための教育の重要性が再確認される一方で、障害者や社会制度からの逸脱者など、いわゆる「教育困難者」に対する取り組みも新たな問題として登場してきた。その中でドイツ連邦共和国においては、取り分け1950年末から「強制保護収容法」(Bewahrungsgesetz)に関する議論が高まった。この法律はヴァイマル共和国時代、及びナチ政権下においても幾度となく制定が検討された法律であった。 本年度においては、ナチズムへの反省から出発したはずの戦後ドイツにおいて、なぜ再びこの法律の制定が議論されるに至ったのかを考察するために、ヴァイマル共和国時代、及びナチ政権下での「強制保護収容法」ならびに「共同体異分子法」をめぐる議論の経過を分析し、戦後ドイツにおける「強制保護収容法」間題の考察の基礎研究を行なった。
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