本研究は、現代における身体文化のありかたを「脱身体化」というキーワードで捉え、それが哲学的な自己論とどのような関係にあるかを明らかにすることを目的とする。この研究は、平成14年から平成16年にかけて三年計画で行われている。本年度は、昨年度の基本的な文献調査およびバーバラ・ドゥーデンの「脱身体化社会批判」紹介に基づき、次のような二点で研究の発展をみた。 1 ハイデガー身体論の検討 現代の存在論としてもっとも重要なハイデガーの哲学に関して「身体の問題」の所在を明らかにすることを試みた。主著『存在と時間』において、「身体性」がどのような哲学的問題として位置づけられているか、さらには、具体的な身体のイメージ、特に「身体機能」や「死ぬ覚悟ができた身体」が自己のイメージを形成するのにどのような意義を担っているかを分析した。それにより、ハイデガーが人間存在の中核とみなす「自己理解の構造」全体を担う偶有性としての「私の身体」がもつ基本的な意味が明らかになった。それについては国際学会(国際ハイデガー研究会・ドイツ・ブッパタール大学)における発表を行い、それにもとづき、英文の論文"The Body in its hermeneutical Context"を執筆・公刊した。 2 和辻倫理学における「自己」の問題 身体論の議論を検討することと並行して、哲学的自己論のありかたが身体観の変化によってどのような規定を受けるかを検討した。特に、日本近現代思想を代表する和辻哲郎の主著『倫理学』において、身体性に関する議論と自己に関する議論がどのような関わりをもつかを検討した。この問題はまだ分析途中であり、来年度の研究についても課題として重要となる。今年度の分析に関しては、短い試論「道徳のテロ状態と人倫のテクノロジー」を執筆・公刊した。
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