丸山眞男の「福沢に於ける「実学」の転回」「福沢諭吉の哲学」(1947)は、彼の福沢観の深化を印す。後者の論文の最後の一節が示唆する通り、丸山は、言わば英米プラグマティズム的・福沢的な思想契機とドイツ観念論的・南原繁的な契機-またこれらと重なりつつ人間主義的・「ルネサンス」的志向と超越的・「宗教改革」的志向-との間で対話を続けた。「凝固した形態」としての思想ではなく、こうした異質な要素間の「火花を散らす」対話の過程の創造性こそ、丸山が最も重んじた所であり、その思想(的発展)の特質を成す。 こうした対話の重要性、またそれと日本における思想的伝統の形成という丸山の課題との結びつきについては笹倉秀夫・松沢弘陽の指摘があり、筆者も本報告書(裏面)に記した寄稿中でそれに論及した。また筆者は、そこでふれた"自己の確信故の他者に対する寛容"という南原の思想との関連で、丸山が「日本的寛容」に対する批判(これは彼の戦前・戦中体験と不可分である)に基き、1960年代のキリシタン論等で個人=他者の内面的人格の尊重というテーマを追究したことを、見出した。今後は、この問題や戦後のマルクス主義論等の論題における、丸山の南原との「対話」の展開を中心に据えて、更に探求を進めたい。 なお、丸山の関係資料は一部(書簡・蔵書等)公開が遅れており、また一部の遺稿やテープ等の公開・利用の現状には問題点が存する。後者について、丸山の思想とまた彼の(複数の)役割意識等との関連の下に、原則に基く慎重な検討と対応が必要である。この知見もインタヴューの「成果」として付記しておく。
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