研究課題/領域番号 |
15500585
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研究機関 | 愛知教育大学 |
研究代表者 |
遠西 昭寿 愛知教育大学, 教育学部, 教授 (20135396)
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研究分担者 |
吉田 淳 愛知教育大学, 教育学部, 教授 (90115668)
川上 昭吾 愛知教育大学, 教育学部, 教授 (10033896)
石田 博幸 愛知教育大学, 教育学部, 教授 (30024003)
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キーワード | 観察事実 / 理論負荷 / パラダイム / 異常な科学 / 新科学哲学 / 運勢ライン法 / 問題解決 / 問の構造 |
研究概要 |
これまでの理科の教授学習理論は、「探究学習」に代表される科学者たちの営みをモデルとしたものがその主流であった。ここでは経験の意味は科学パラダイムを背負った科学者と科学パラダイムの外側からこれをめざして学んでいる学習者のいずれにおいても同じであると考えている。このような経験主義的信念は理科教師のみならず科学者においても一般的なものであるが、この信念こそが理科学習における学習困難性、理科嫌いの本質的原因であると考えるのが本研究の基本的立場である。 20世紀半ばに現れた新科学哲学は経験、すなわち事実の意味は個人的なものであり、これまでの経験やすでに学んだ事柄との相互作用の結果として個人の内面に立ち現れていると考える。すなわち、観察事実が理論負荷的な解釈的事実であるとすれば、パラダイムを共有した科学者たちの通常科学の営みは理科授業のモデルとしてはきわめて不都合であり、むしろパラダイム形成時、もしくはパライムシフト時の異常な科学こそ理科授業のモデルにふさわしい。つまり、理科授業は事実から理論概念を導き出す過程としてではなく、どのような理論や概念から見た事実が科学の名においてふさわしいかを判断しようとするものであるべきことが、授業実践を通して明らかになりつつある。この中で「運勢ライン法」が個人的・文脈的・臨床的な研究ツールとして有効であることがわかってきた。 一方、この立場をとらないものは生活的状況など非科学的文脈における「問題解決」に代表される理論である。ここで、「問題」は学習者によって強く認識された、学習者自身の立てた問いであり、問いの構造は学習者が暗黙のうちに用意している答えに依存していて、これを超える解答は生じ得ない。このことが意味することは「問題解決」が科学を学ぶことにふさわしいとは言えない方法であることである。子どもたちの学びが「はいずりまわる」のはこのためであることも授業の観察の中から見えてきている。 本研究は第1年次に当たり、明確な主張として結論できないが、今後これらの点をより明確にしていく。またこれらをもとにして、授業設計の方法的理論を構築していきたい。
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