本課題は1965年のT・D・ルィセンコ失脚後のロシアにおける生物学教育の正常化の問題に取り組んだ。1948年にルィセンコがソ連生物学界を支配して以来長期にわたって、同国の生物学研究教育は遺伝学が排除される等、制限された状態にあった。1965年以後、ロシアの指導的生物学者と教育学者は、現代的水準を満たした生物学教育を立て直す困難な役割を担うこととなった。本研究はこの生物学教育の再編過程を主に次の二つの作業を通じて解明した。すなわち、第一にロシアの主要大学、及び地方大学における遺伝学コースの再開状況を調査し、第二に中等教育向けの生物学プログラム改定にあたって行われた議論内容をつぶさに調査した。
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