研究課題/領域番号 |
15K20824
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研究機関 | 北海道大学 |
研究代表者 |
金山 浩司 北海道大学, スラブ・ユーラシア研究センター, 非常勤研究員 (90713181)
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研究期間 (年度) |
2015-04-01 – 2018-03-31
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キーワード | 武谷三男 / 普遍主義と民族主義 / 社会構成主義 / 戦時日本の科学技術論 |
研究実績の概要 |
2015年度は、まず、戦時中日本において「日本的科学」や「科学の民族性」についてさかんに論評を行っていた哲学者たち(相川春喜、山田坂仁ら)の見解がいかなる理路にもとづいたものだったかをひもとき、かくのごとき論は彼らが戦時下にあってのナショナリズム鼓舞という国策・大勢に単に従ったから出現したわけではないことを示そうとした。相川や山田は元来、マルクス主義的な科学・技術観の持ち主であり、生産・実践過程における主客の媒介として技術ひいては科学を把握しようとする傾向が濃厚である。彼らの観点からすれば、技術や科学は、その内的展開にしてから社会・経済的側面に根源的に規定されているのであって、かかる構図にさらに民族精神のごときモメントを加味するなら、日本的科学なるものも容易に(理論的必然性として)導出されてくる。これまではほとんど検討されてこなかった戦時中の山田・相川らの論議を分析対象とすることで、社会構成主義的見解が落ち込みうる陥穽に対する警鐘を鳴らすことができよう。上述した議論は現在文章化しているところであり、2016年度中に学術誌に投稿予定である。 2015年度中のもう一つの実績は、科学論・技術論において戦後長らくオピニオン・リーダーとみなされてきた物理学者・武谷三男の根本的・認識論的発想を明確化することにより、この幅広い発言で知られる評論家の統一的理解を試みたことであった。武谷は、相川や山田と真っ向から対立する技術規定などで知られるが、彼の認識論の根底にある、媒介抜きで外界が人間認識に反映されるという発想が、相川らと対照的な普遍主義的見解へと導いたと同時に、武谷の傲慢ともいえる科学主義を導出したことを示した。これは既に論文として成って寄稿されており、2016年度中に、勁草書房より刊行予定の金森修編『相和後期の科学思想史』に収録される。
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現在までの達成度 (区分) |
現在までの達成度 (区分)
2: おおむね順調に進展している
理由
戦時中から戦後にかけての科学と技術の関係について、諸議論を分析した。相川春喜や山田坂仁らの、科学を技術と同様に社会・文化的諸関係のもとでとらえる議論を検討し、一定の知見を得た。 これは完全な論文化にはまだ至っていない。しかし、2015年度はこのほかにも、武谷三男の、社会・文化的諸関係をあえて無視することで成立した科学論・技術論を根源的に分析して、この論者の統一像を提供し、論文として完成させた。これにより、戦後日本科学技術論の一方の雄に対する理解を従来よりも深めることができたと考える。武谷のように、技術を科学の応用とみなす、一つの極端な立場が出現する認識論的基盤を突き詰めたことは、科学と技術の関係性についてのほかの論者たちの議論を分析するにあたっての、確固たる前提条件となりうるであろう。 以上のことから、2015年度における研究は、必ずしも当初の計画通りに進んだわけではなかったにせよ、総合的には順調な進展をみたと考えている。
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今後の研究の推進方策 |
戦時中の、相川春喜や山田坂仁の唱導していた科学の民族性なる概念が拠ってくるところを引き続き歴史的に検討し、先行研究で取り上げられてきたような「日本的科学」とは異なる系譜による、反・普遍主義的な科学論の出現をあとづける。これを論文化し、科学史あるいは科学技術社会論関連の学術雑誌に、2016年度中に投稿する。 また、戦前から戦後にかけて日本政治の中枢に近いところで活躍した政策決定者、特にテクノクラートらの思想もあとづけていく。戦時中の逼迫した状況下で科学と技術の融合、生産力向上を訴えたであろうテクノクラートについては、技術者地位向上運動を除いて必ずしもその思考や行動がはっきりしていない。今年度東海大学に奉職している強みを生かし、戦後同大学を設立したテクノクラート、松前重義の思想を検討し、戦前期からの歴史的文脈の中に位置づけることとしたい。
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