フォルスターの『世界周航記』にみられる博物学的な記述のうち、とくに南太平洋諸島の住民たちに関するものは、ヨーロッパにおける初期の「民族学」あるいは「人類学」ともいうべき性質をもっている。このばあい、フォルスターは、自身のフィールドワークによってデータを集積する「記述民族学」をおこなっているといえる。これに対して、もうひとつの民俗学の方法論をとっているのが、ジャン-ジャック・ルソーである。レヴィ-ストロースによれば、ルソーこそが最初の人類学者という位置づけである。ルソーの『人間不平等起原論』で展開されているオラン・ウータン論は、人間性の起源について探究するものであるが、ルソーは、厖大な旅行記の情報をもとにして、これを立論している。すなわち、かれは収集された事実について考察する人類学である「文化人類学」の方法論をとっているということであって、「記述民族学」と「文化人類学」というバイナリズムに、ルソーとフォルスターの方法論や記述の差異を還元できるのである。しかし、非ヨーロッパ社会や住民に対する両者の見解は、<文化進化主義>という点で軌を一にしている。現代では、両者のこうした視点をヨーロッパの視点から批判しているのは、レヴィ-ストロース初期の著作『人種と歴史』(1961)における反文化進化主義の思考である。したがって、フォルスターとルソーによるふたつの著作は、その後のヨーロッパの植民地主義の方向性を決定づけるのに寄与したといえるだろう。 そして、フォルスターにおけるこのような<文化進化主義>の視点は、南太平洋諸島の住民たちの「身体」の記述にも色濃くあらわれている。その「身体」描写もまた、かれによって低い文明/文化とみなされた「未開人」の劣性を根拠づけ、非ヨーロッパ世界の住民をヨーロッパとの対比において、「優劣」の図式に配列する言説を形成してしまうのが明らかなのである。
|