平成29年度中の研究では、19世紀末から20世紀初期にかけて「ロシア5人組」のオペラを盛んに上演していた私立マーモントフ歌劇場と、同時期のロシア音楽メディアで展開されたロシア音楽の本質に関する議論との関係を論じた。私立マーモントフ歌劇場の創設者サッヴァ・マーモントフが、古儀式派の家系であった点に注目し、この要因が、同歌劇場と、帝室歌劇場の代表であるマリインスキー劇場の上演傾向にいかに影響しているのかを検証した。私立マーモントフ歌劇場が大きな転換点を迎えた1896年から1898年に時期を限定し、この期間における同歌劇場とマリインスキー劇場の上演記録をデータベース化し、統計分析を行った。その結果、私立マーモントフ歌劇場がリムスキー=コルサコフとムソルグスキーのオペラ上演を、マリインスキー劇場がチャイコフスキーのオペラ上演を盛んに行い、前者がロシア・オペラ作品の時代設定について16世紀のものを、後者が19世紀のものを最も頻繁に扱っていることを明らかにした。リムスキー=コルサコフのオペラには16世紀以前の時代設定の作品が多く、しかも帝政に対する批判的要素が強いこと、またムソルグスキーのオペラには古儀式派を英雄化した《ホヴァンシチナ》があること、マーモントフがこれらのオペラを擁護していたことに鑑み、マーモントフが、古儀式派として1666年のニーコン総主教による典礼改革以前の時代のロシアを重視している可能性を示唆した。そして、そのような彼によるロシア・オペラの上演活動に対し、当時のロシア音楽メディアが、民族主義的傾向にあると判断し、まさにこの点において私立マーモントフ歌劇場を評価していたことを論じた。
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