研究課題/領域番号 |
16K01629
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研究機関 | 東京女子体育大学 |
研究代表者 |
掛水 通子 東京女子体育大学, 体育学部, 教授 (20096663)
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研究期間 (年度) |
2016-04-01 – 2019-03-31
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キーワード | 女子体育教師 / ジェンダー / 高等女学校 / 女子師範学校 / 職歴 |
研究実績の概要 |
本研究の目的は、ジェンダーの視点から女子体育教師個人史に着目し、個々の女子体育教師の勤続年数や体操科から国語、家事、音楽科への移動状況、給料等から戦前における女子体育教師の確立過程を検討することである。このことにより、男子体育教師との男女格差、他教科女子教師との女女格差が生じた要因をジェンダーの視点から捉え直すことを目的としていた。 三カ年の研究期間の一年目に当たり、三つのことを並行して進めた。前研究で、1903(明治36)年度から1939(昭和14)年度までの『中等教育諸學校職員録』を用いて、女子中等学校のうち、高等女学校、各種学校としての女学校、女子実業学校の体操科受け持ち女子教師の実態を明らかにしたが、全中等学校を通した分析をする必要があるため、未分析であった師範学校、女子師範学校の体操科受け持ち教師の分析を行った。その結果、他の女子中等学校同様,教員養成を目的とする官立学校出身者が次第に減少し、短期養成の私立学校出身者に代わって行くが,他の女子中等学校より官立学校出身者の割合が高く、1926(大正15)年が37. 5%で最も低くなるものの、昭和になっても微増し4割以上を維持していることが明らかになった。教員養成を目的とする官立学校では,女高師本科出身者から国語体操専修科を経て,第六臨教体操家事科出身者へ移行していった。他の女子中等学校より,女子師範学校の教育が重視されたと思われ,官立出身者が優先的に配置されていた。 次に、体操科受け持ち教員だけではなく、1903(明治36)年度から1939(昭和14)年度までの『中等教育諸學校職員録』に記載された師範学校、女子師範学校の全女子教員のデータの入力を行った。 最後に、現存する学校史のなかに記述された女子体育教師の個人史の記述を少しずつ収集しており、これまでの研究で見落としていた記述も発見できた。
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現在までの達成度 (区分) |
現在までの達成度 (区分)
3: やや遅れている
理由
三カ年の研究期間の一年目にあたる平成28年度の研究進捗状況はやや遅れている。その原因はいくつかある。次から次へと大学業務や学会運営、他の研究に追われ、本研究のエフォート率35%を守れなかったことが、決して言い訳にはならない第一の原因として挙げられる。 第二の原因は研究の必要性から基礎史料を得るための師範学校・女子師範学校の女子体育教師の分析に時間を掛けたことによるものである。
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今後の研究の推進方策 |
昨年度の進捗状況の遅れを反省し、学会運営の業務を辞退したことにより、昨年度より時間を取れる体制に入っている。本年度は、昨年度の遅れた分を取り戻しながら今年度の研究を進めて行きたい。今後は、他の女子中等学校への移動状況を確認しながら、学科間移動状況学科別個人別勤続状況、出身校を分析していく。また、当初計画では、時間が足りなくなった場合は、史料収集の範囲を見直しして進めて行きたい。
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