これまで日本宗教史においては、おもに自由と差別とは対立するものとして描かれてきた。一方、「聖なるもの」に関する宗教研究の議論を再検討した結果、「聖(sacred)」が「俗(profane)」と「世俗(secular)」との関係性でそれぞれ異なる意味を持つことがあきらかになった。これらから、自由と差別とはむしろ切り離すことのできない関係にあるのではないかという理論的枠組みが導かれた。その上で、京都の清水坂、奈良の奈良阪、大阪の旧渡辺村などのフィールドワークを交えつつ、日本の歴史研究や差別研究を批判的に再検討し、日本における聖なるものと公共空間の関係を具体的に考察した。
|