本研究は、野上弥生子『台湾』に関して、1935年当時の台湾の原住民雇用情況、教育情況、伝統文化保存、経済生活の変化等、統治政策及び宣撫政策を背景とした、その史料的価値と文学的価値の評価を目指すものである。最終年度である平成30年度は、『台湾』中、大武関連調査に関して論文を発表した。さらに霧社事件から5年後の霧社訪問に関して文献収集し、花蓮・大武追加調査と日本人作家の視察に関する調査を加え学会発表を行った。 第一に、弥生子の霧社訪問に関する官憲側の対応を同時代文化人の訪問記録と対照し、弥生子の視座の独自性と史的意義を考察した。霧社事件の原因に関して、①総督府文書に記載された出役の苦痛・賃金支払い遅延に触れないこと ②主に「小学校改築」であったものを「蕃童の公学校」改築とすること ③日本側に一家を処刑された扇動者に触れず、理蕃政策と根底で関わる原住民女性と日本人警官との結婚による怨恨について個人的感情の側面を強調すること等、官憲側(元警察官)から情報を得たことによる偏向を明らかにした。さらに弥生子のパーラン社訪問追加の意味を、文献調査及び現地調査により確認した。 第二に、1935年の理蕃政策に対して、弥生子が「原住民の文化保存の必要性」「原住民の経済変化がもたらす結果への危惧」「警察による理蕃が継続することで生じる矛盾」を指摘したことが、文教局河崎康寬の批判を生んだことを指摘した。 第三に、弥生子の台湾及び原住族認識を、1930年に台湾で婦人毎日新聞主催の婦人文化講演会に参加し『新台湾行進曲』を執筆した北村兼子、文学作品において第一霧社事件から川中島移住までを視野に被支配者と支配者の民族的アイデンティティを問うた阪口れい(衣偏に零)子と比較し、その限定性と独自性を論じた。 その他、東アジア日本語文献に関する研究集会において、日本統治期台湾日本語資料の現状に関して発表した。
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