研究課題/領域番号 |
16K02620
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研究機関 | お茶の水女子大学 |
研究代表者 |
伊藤 さとみ お茶の水女子大学, 基幹研究院, 准教授 (60347127)
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研究期間 (年度) |
2016-04-01 – 2020-03-31
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キーワード | 形式意味論 / 中国語 / 疑問文 / 対比 |
研究実績の概要 |
本研究は、疑問文の意味と疑問標識の作用について通言語的に調査し、その相互関係を明らかにすることを目的としている。疑問文の意味についての理論は、その疑問文に対する答えの集合をその意味とする考え方が主流である。その中でも話し手と聞き手の共通基盤を形成する可能世界を答えで分割するとする分割意味論(Partition Semantics)と、疑問文の中に、命題から真理値への写像を行う演算子があると仮定する説明(Structured Meaning Account)がある。本研究では、疑問標識についてのデータを整理した結果、中国語の助詞neが、前者の分析によってのみ説明されることを明らかにした。 neという助詞は、疑問文文末、平叙文文末、話題名詞句後に表れる。本研究では、neには、会話の共通基盤に分割がある場合に、その分割の間の対比を表す機能があることを明らかにした。共通基盤の分割は、疑問文であれば、答えの候補を表す命題間の対比、平叙文であれば、共通基盤にある当該命題と相いれない命題との対比、話題名詞句であれば、共通基盤中の個体との対比となる。このように、会話の共通基盤の理論と、分割意味論を組み合わせることによって、neの持つ極めて抽象的な作用が説明されるのである(以上、伊藤2018a「疑問文中の語気助詞neの機能:疑問演算子か対照話題マーカーかをめぐって」、『中国言語文化論研究』第7号、pp.20-46に発表)。 また、yes/no疑問標識について考察を行い、共通基盤の分割を行う疑問文と行わない疑問文の区別が、neとの共起を決定することを示した。例えば、中国語のma疑問文は発話行為上の疑問行為であり、共通基盤の分割は行わないため、neと共起できない。この対比からも、neの機能が共通基盤上の分割に伴う対比の働きであることが伺える(以上、伊藤2018b「談話機能から見る中国語における文末助詞maとneの比較」、『お茶の水女子大学中国文学会会報』第37号、pp.17-34に発表)。
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現在までの達成度 (区分) |
現在までの達成度 (区分)
2: おおむね順調に進展している
理由
本年度は、疑問文の意味についての理論で、自然言語のデータをどれだけ正確に分析できるかを調査したが、第一の成果は、分割意味論がより広い範囲のデータを説明することが分かり、この意味論が優れていることが明らかになったことである。また、単に疑問文を記述するために優れているだけでなく、対比話題や対比焦点を説明することにも適用できる可能性を持っている。従って、これまで理論的にあまり研究されてこなかった対比を表す助詞の役割も説明することができたのである。ただし、焦点を含む疑問文における、焦点と疑問演算子の作用域の関係の説明には、この理論はまだ答えておらず、この点において、さらなる研究が必要である。おそらくは、前年度の研究で明らかにしたように、疑問文には二種類あり、分割意味論が分析対象とする典型的な疑問文には、もともと焦点が現れることができないのであり、発話行為論レベルの疑問文の意味論を別に確立すれば、焦点との作用域の問題を解決すると考えている。第二の成果は、これまで多くの言語学者が分析を試み、その機能について一致した見解に至らなかった中国語のneという助詞について、統一的な説明をすることが可能になった点である。この助詞の機能については、聞き手の予想に対する反応であることを示唆する、詰問を表す、丁寧さを表す、談話との関連を示唆する、対比話題を示すなど、様々な説が展開されてきた。これに対し、本研究で明らかになったneの機能は、会話の共通基盤に対して、対比の対象を求め、当該命題と両立しない命題の存在を示唆する働きであるが、これまでに提案されたneについての説をすべて説明することができる。ただし、同様の働きをする助詞を他の言語に見つけることができず、その点で通言語的な証拠に欠けるという問題も残している。
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今後の研究の推進方策 |
今後は、疑問文の意味論について、エコー疑問文と否定疑問文を手掛かりに、研究を進める。分割意味論の限界として、上の「理由」の欄に挙げたように、焦点との相互作用が説明できないという問題が指摘されており、分割意味論に新しい策略を組み込むか、または、分割意味論とは異なる発話行為論レベルの疑問文の意味論を確立する必要がある。分割意味論に改善を加えるにしろ、別のレベルに意味論を作るにしろ、どちらも一長一短があるが、自然言語のデータに基づいて、どちらの方略が優れているかの考察を行う。考察のための手掛かりとしては、エコー疑問文と否定疑問文を取り上げる。この両者は通常の疑問文と異なり、特定の情報を求める働きをせず、発話行為論的疑問文の典型を表しているからである。例えば、エコー疑問文は、直前の発話に強く依存する点で、会話の共通基盤との関係が密接な文型である。特定の情報を求める用例もあるが、それ以外に反駁や皮肉など、発話行為論的色彩が強い。もう一つの否定疑問文については、申請当初の計画には含まれていなかったが、話者がその疑問文に含まれる命題について、肯定か否定かのどちらかのバイアスを有していることが多く、会話の共通基盤との相互作用が強く認められる。また、中国語の発話行為論的疑問文を作る形態素ma自体が、歴史的に否定辞に遡るともいわれているように、発話行為論的疑問文に移行しやすい文型である。そこで、これらの構文を手掛かりに、発話行為論レベルの疑問文がどのように定義されるかを考察する。最後に、構築した発話行為論レベルに働きかける疑問文の意味論が、通言語的に妥当なものであるかを検証し、新しい疑問文の意味論として提案する予定である。
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