聖書がラテン語から古高ドイツ語へと翻訳される場合、言語学的観点から見れば、両者の違いはどこにあるのか?報告者は、その言語学的差異は古高ドイツ語の副文に現れる接続法ではないか、と考えた。なぜなら、古高ドイツ語の副文では接続法が多用されるからである。ただし、この接続法がモダリテートを伴うケースは極めて稀で、表現内容からすれば直説法と何ら区別されない。 そこで本研究では、先ず古高ドイツ語の副文に現れる接続法が如何なる場合にモダリテートを有するのか検証し、そのプロセスを解明する。次に、古高ドイツ語テクストにおいて話法化されている箇所こそが、両言語間に存在する文体的差異であると指摘する。
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