本研究の最終年度は,遼寧省朝陽市で新たに出土した唐代の契丹人墓誌と靺鞨人墓誌の分析を行った。この結果、今まで、唐代の営州(遼寧省朝陽市)付近におかれていた羈縻州のうち、契丹系羈縻州だけで確認できていた府兵制における兵士徴発・訓練機関である折衝府が、靺鞨人を置いた羈縻州にも存在した可能性が高いことが明らかとなった。 また,2019年10月26日,関西大学で「中国王朝の「異民族」統治方法に関する問題と考察」と題する研究集会を開催した。森部が基調報告の「唐朝の羈縻政策をめぐる諸問題」、新津健一郎(東京大学大学院生)「唐代南方統治政策における羈縻州の位置」、齊藤茂雄(大阪大学)「唐代前半期における突厥羈縻集団の形成と解体」、佐川英治(東京大学大学院)「羈縻政策としての北魏六鎮」の3本の研究報告と討論をおこなった。 これらの研究を通じ、唐朝の羈縻支配をめぐって,従来イメージされてきた「唐朝が周辺諸部族の首長に唐朝の官職をあたえ、その下の部族集団を羈縻州に編成し、間接統治をおこなった」という通念的理解を修正する段階に入っていることが確認された。我々が,漠然と「羈縻州」と一括して呼んできたものには,実は,内地の正州とほとんど変わらないもの,通説的,服属部族集団の自治がおこなわれているもの,あるいは時には羈縻州から正州へ,また正州から羈縻州へ変わるものなど,その姿は多様であり,唐朝の羈縻支配そのものも,地域や時代によって変化があったことを予想させる。これらの分析については,今後の課題として提起しておきたい。
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