研究課題/領域番号 |
16K03990
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研究機関 | 九州大学 |
研究代表者 |
大石 桂一 九州大学, 経済学研究院, 教授 (10284605)
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研究期間 (年度) |
2016-04-01 – 2019-03-31
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キーワード | 会計基準 / アウトソース / 会計規制 |
研究実績の概要 |
当年度は本研究で掲げた課題のうち、証券規制が開始されたとき、いかに会計基準設定のアウトソースが起こったのかを明らかにするという課題に取り組んだ。この研究の成果の一部を学術論文(大石桂一「証券市場規制のもとでの財務報告」『企業会計』第70巻第1号、41-46頁)として公表した。研究の成果として明らかになった主要な点は以下のとおりである。 1920年代まで米国では財務報告を規制する連邦法は存在せず、明文として設定された会計基準もなかった。それでも証券市場が機能していたのは、ニューヨーク証券取引所(NYSE)が自主規制という形で、開示実務の改善・標準化を進めてきたからである。なお、英国でも事情は同様であり、法的規制がなされる前はロンドン証券取引所が主要な役割を果たしていた。しかし、1920年代半ば以降になると、もっぱらNYSEの力だけで改善・標準化を図るのは難しくなってきたため、NYSEはアメリカ会計士協会(AIA)との協力を模索するようになった。 そうした中、1929年、ニューヨーク株式市場で株価が大暴落し、これをうけて1933年証券法・1934年証券取引所法が制定された。その結果、証券規制を担い、その一環として会計基準設定権限を持つ証券取引委員会(SEC)が創設されたのである。しかし、SECは必ずしも、既存機関である連邦取引委員会(FTC)がその役割を果たせなくなったために新設されたわけではなかった。FTCに権限を集中しようとした法案起草者、FTCの厳格な規制を回避すべく「規制権限の弱い新機関」の設立を主張した金融界、連邦準備委員会(FRB)を証券規制から隔離するために新機関設立案を支持したGlass上院議員、そうした思惑の交錯にFletcher上院銀行通貨委員長の判断ミスが加わったことで、妥協の産物として広範で裁量的な規制権限を持ったSECという機関が誕生したのであった。
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現在までの達成度 (区分) |
現在までの達成度 (区分)
3: やや遅れている
理由
当年度は研究環境が変化したため、予定していた日米英の歴史的比較については次年度へと見送った。
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今後の研究の推進方策 |
最終年度となる次年度は、まず日本における証券取引法制定時およびASBJの発足時に焦点をあてて研究を行い、その後、米国および英国と比較する予定である。
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次年度使用額が生じた理由 |
環境の変化により、予定していた英国での史料収集が実施できなかった。また、史料整理のアルバイトを雇用する必要がなかったので、人件費・謝金も使用しなかった。次年度の使用計画については、費目変更はありうるが、基本的には予定どおり使用する。
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