2018年度は、第一に、大正・昭和初期における生活改善運動とメディアの相互関係について、第二に、戦後初期・高度成長期における生活改善運動とマスメディアの相互関係について、以下の通り検討を進めた。 第一の検討については、生活改善運動の初発期における婦人雑誌の役割、および生活改善の運動体(生活改善同盟会)の使用したメディア戦略、という観点から中心に検討を進めた。これらの検討から以下の二点が主に明らかとなった。一点目は、大正前期までに婦人雑誌(主に『婦人之友』をここでは検討した)が作り出していった生活改善に関する対象者像(富裕層、および新中間層の上層部分)が、大正後期以降に文部行政の後ろ盾で展開する生活改善運動を強く規定していたという点である。二点目は、大正後期以降の生活改善運動(特にここでは、文部省の外郭団体である生活改善同盟会の活動を中心に検討した)においては、そのような対象者像に対して次第に疑問が投げかけられるようになり、それに伴って同団体のメディア戦略も、農村部の共同性を前提とした内容、方法へと変化していったことを明らかにした。 第二の検討については、読売新聞社青年部長として新生活運動の普及に力を注いだ渡辺智多雄の1950~60年代における活動を中心に考察を進めた。この考察においては、精神的な変容こそが新生活運動の主眼であると渡辺が捉えるとともに、新生活運動という生活を変革するための実践は、政治活動と画然と切り離されるべきものではない、という理念を有していたことを確認し、このような渡辺の理念が、社会教育行政と密接化し、脱政治化、ルーティーン化していく戦後初期・高度成長期の新生活運動への一定の批判的立場となっていたことを明らかにした。
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