真島健三郎が提唱した柔構造理論は,海軍の昭和初期の建物において単位架構の平面プラン,鉄骨の組立材をコンクリートで被覆し,著書に書かれている弾機鋼板曲形方杖の使用は一部にしか見られなかったが,外壁や間仕切りは鉄筋煉瓦または鉄網モルタル吹き付けで,真島の設計主旨に沿うものであった。目黒の調査では柱梁部材の鉄筋量が少なく,梁の内部組立鉄骨の軸方向材は直接柱に接合されていないことから,大地震時には梁端部がピン接合として挙動することを意図して設計されたものと推察される。ただし,振動測定調査から,小地震時には柱梁の鉄骨コンクリートや少量の鉄筋が有効に働き剛節架構として挙動すると考えられた。
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