本研究は、セルビアとルーマニアにまたがるバナト地方に分布する消滅危機言語であるバナト・ブルガリア語のうち、これまで研究が行われていないセルビア側の方言を多角的に記述・分析するものである。従来ルーマニア側のスタル・ビシノフ方言と同一に考えられていたセルビア側のヤシャ・トミッチ、ベロ・ブラト、イヴァノヴォの3村の下位方言には、それぞれ類型論的に重要な差異が複数観察されたことを踏まえ、本研究では、インフォーマント調査と新たなアーカイブ資料との比較を行い、各々の地点の固有の変化とその原因を、伝統的な方言学や文献学に加え、言語接触論、言語類型論、社会言語学、地域言語学の理論と知見を用いて複合的に分析し、当該言語の言語変化の普遍性と地域的特殊性を明らかにすることを目的としていた。 これまでは、主にこれまでの研究で用いられてこなかった文献およびインフォーマントから得られた資料を基に、言語接触論と言語類型論的(対照研究を含む)な側面からセルビア側とルーマニア側のバナトブルガリア語の差異を明らかにしてきたが、本年度はそれらの成果を踏まえたうえで、特に地域言語学的および社会言語学的な視点に基づく研究を進めた。 母語話者の度重なる逝去などにより、当初予定していた計画が十分実行できたとは言えない部分もあるが、その一方で、言語類型論的に見て同一の言語現象を有する周辺言語との比較研究を行い、また危機言語研究や言語復興論の枠組みを導入して、セルビア側とルーマニア側の状況を比較する研究を行うことで、これまで明らかになっていなかった両地域における社会言語学的な共通点と差異が明らかにされた。
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