本研究では、製作当初につくられた有機材料の文化財に対して、後世で保存処置等が施された場合の複層構造をした微小な欠片から、いかに各層の情報を複数取り出すかという問題に取り組んでいる。 再現した実験サンプルではなく、実際に後世での修理として合成樹脂による保存処理が行われていた漆塗り遺物に関して、塗布された漆液の樹種の識別が可能なだけの情報を得られるかのどうかPy-GC/MSでの分析を実施した。結果としては懸念していたとおり、処理剤として用いられた合成樹脂材料に由来する熱分解生成物が非常に強く検出されてしまい、漆樹を識別できるだけの情報を得ることができないとわかった。漆樹の種類の判定に用いられるm/z 108のイオン抽出を試みても、3-アルキルフェノールに由来するピーク類を補足することはできなかった。さらに対象とした漆塗り遺物は、保存処置の合成樹脂材料に必要な情報が阻害されているだけでなく、塗膜中に含まれている水銀朱(正確には水銀に由来するスペクトル)の情報が非常に強く検出されており、漆樹の種類を識別することは困難だとわかった。この課題に対して、ソックスレー抽出を試すといった実験を行いたかったものの、COVID-19の流行だけでなくウクライナ情勢の影響によって、熱分析に必須のHeガスの入手困難な状況が続き、予定していたサンプルの分析を推進することは難しかった。一方で分担者は、得られた成果について速やかな情報の公表を心がけ、これまでの分析結果をまとめる作業に注力した。
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