「日米防衛協力のための指針」策定(1978年)は、従来日米間で秘密裡になされていた共同計画策定が公式化された、日米同盟史上、画期的な出来事だと位置づけられる。ゆえに、従来「指針」策定をもたらした要因について、多くの研究がなされてきたが、そこでは日米どちらのイニシアチブによって「指針」がもたらされたのかに関する論争が存在する。本研究では、新たに発見された一次史料やインタビュー結果により裏付ける形で、論争の解決に結びつく議論を行い、共同計画の公式化は米国のイニシアチブを契機としたにも関わらず、何故日本が「指針」策定過程においてイニシアチブを取ったのかという点を説得的に示すことができたと考える。
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