研究期間の最終年なので、昨年度までの成果を見渡した上で、以下の2点について調査・分析を進めた。 まず、学術振興会による機関や分野を横断した触媒プロジェクト(第13小委員会)に加わった化学者たちと量子力学とのかかわりを引き続き追っていった。今年度は、京都帝国大関係者も射程にいれたところ、同大学の物理化学者・堀場信吉が統計力学を教えていたという記述や回想を発見した。物理学と化学との連携の重要性は、東京帝大の片山正夫周辺にとどまらず、化学者共通の認識であるとの理解のもとで、化学者の量子力学への取り組みを見直す必要があることがわかった。 次に、すでに一通りの結果が出たライプツィヒ大学と理化学研究所の交換留学制度の成立過程を再検討した。参照していた先行研究に不備や矛盾が見つかったので、この制度を提案したユーバーシャールが在職した甲南大学やライプツィヒ大学へ資料調査に赴いた。ユーバーシャールは、1920年代より、ライプツィッヒ大学を中心とする日独学術雑誌の創刊、同大学と京都帝大との交換留学制度、同大学日本研究所の設立と運営に尽力しており、これらの実績により理研との交換留学制度が実現できた。その際、彼がナチス党員であったことが、この提案を通すための重要な要因となっていた。京大や理研との交換留学制度は、1938年の日独文化協定設立のための重要な実績の一つとなっていた。 研究開始当初は、量子力学と化学とのかかわりを量子化学に限定していたが、この研究課題を通じて、量子力学の成立は原子・分子概念の受容とともあること、それゆえ、化学者全体にとって重要な関心事だったことが明らかにできた。また、国力の増強をはかって推進した学振のプロジェクト研究のなかから小谷の数表などの成果が生まれたこと、理研の留学制度とナチス政権の関係など、科研課題関連分野の発展と社会情勢との結びつきも具体的に示した。
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