1930年代前後の日本における量子力学の移入と展開を、これまでほとんど論じられてこなかった物性分野、特に原子分子分野に焦点をあてて分析した。そして、原子分子概念の受容とあわせて化学者にも量子力学は必須であるとの認識に至る経過、化学者に向けた日本語の量子力学の教科書が出版されるまでの過程を、主として東大の片山正夫とその門下生の国内外で活動を分析することで明らかにした。化学者の集団に小谷正雄ら物理学者も加わる一方で、物理の視点から原子分子の問題にとりくむ研究者もいたのが実情であった。1937年に理化学研究所とライプツィヒ大学理論物理学教室間の交換留学協定が締結された経緯も具体的に示した。
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