日本統治下朝鮮では、米ロックフェラー財団の働きかけのもと、医学校・大学医学部改革を通じた公衆衛生改革が構想され、そのもとで公衆衛生学が形成されていく。1910年代においては、ロックフェラー財団は宣教師系私立学校であるセブランス医学専門学校への支援の可能性を考えていたが、1920年代以降は、日本植民地初の京城帝国大学の創建に着目し、初代医学部長志賀潔と接触しながら、朝鮮を日本帝国における公衆衛生改革の拠点にしうると考えるに至った。このようなロックフェラー財団のもたらした実際の改革、水島治夫のアメリカ派遣、そしてその遺産を戦後日本と韓国にまで射程を伸ばしながら検討した。
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