昭和15年主催予定の冬季オリンピック札幌大会を昭和13年に返上すると,全日本スキー連盟は方針を翌14年に競技力養成から国民体力養成へと一転した.本研究では,太平洋戦争までの3年間に,連盟が国民体力養成を如何に実施したのかスキー連盟の活動実態を解明した. 昭和14年の1月~3月までのスキーシーズンに,連盟は次のことを実施している.スキー技術の統合を図るため,テキストとして『一般スキー術要項』を作成している.また連盟は要項をテキストとして全国的に1月から3月にかけてスキー講習会を開催し,4000人が受講した.そこで,バッチテストが実施され優れた指導者が見いだされた.また,2月26日には,全国皆スキー行進を全国の降雪地方で開催した.山梨の美ケ原高原スキー場を本会場として,国民の「体力養成・精神作興」を目指して,各県各地の開催地で式とスキー行進を同時に進行させている. 昭和15年の1月~3月までのスキーシーズンに,連盟は『一般スキー術要項』を使ったスキー講習会が全国的に実施されている.しかし,昭和14年の時ほどの受講者はいなかったが,優れた指導者が見出された.また,2月26日には,全国皆スキー行進を全国の降雪地方で開催している.ほぼ同じ全国的な地域で開催されている.しかし,行進の形だけでなくスキー大会開催などの工夫がされるようになった. 昭和16年の1月~3月までのスキーシーズンに,連盟はスキー講習会を全国的に実施している.しかし,昭和14年の時ほどの受講者はいなかった.また,2月26日には,全国皆スキー行進を全国の降雪地方で開催している.ほぼ同じ全国的な地域で開催されている.しかし,行進の形だけでなくスキー大会開催などの工夫がされるようになった.
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