戦国時代の代表的な文芸指導者であった三条西実枝を介して、武田氏・今川氏・北条氏の文芸活動について考察し、以下のような成果があった。 (1)実枝と武田氏・今川氏との関係は、天文15年(1546)に初めて下向してから、20年以上にわたる。在国期の活動を考察した。実隆作とされた「逍遥院内大臣和歌〈詩和韻歌〉」が実は実枝の作品であり、かつ自筆断簡が国文学研究資料館に蔵されることを突き止めた。これを翻刻し、実枝の駿府下向と当地での活動に、太原崇孚とその門下との交流があったことを述べた。ここに見られる、漢詩を和歌で唱和する、「詩和韻歌」と呼ばれる贈答形式が当時京都で愛用されていた。この形式は地方でも歌人と大名・禅僧との交流に際してしばしば用いられた。実枝が天文15年に武田晴信を訪ねた時も、晴信の詩に歌で和している。ここから初めて晴信の詩も正しく解釈できる。以上の研究成果を踏まえ、「詩に和韻する歌」と題した論文を執筆した。 (2)実枝と小田原北条氏との関係を考察した。近年発見の北条氏歌会(北条氏康十九首和歌)の本文を紹介、永禄3年(1560)秋、実枝が小田原に下向した際の開催であると証した。氏康の文事には実枝が深く関わり、源氏物語桐壺巻を講釈したことも、三条大納言殿聞書の異本によって明らかになった。 (3)(1)と(2)の基盤として、実枝の駿河・甲斐・信濃など各地への旅を側近が記録した「甲信紀行の歌」を研究し、注解した。その原本は所在不明で、転写本の福井久蔵筆本しか存しない。大阪市立大学森文庫にもう一本が蔵されることを知ったので、書誌調査を行った。 (4)研究の総まとめとして、日本文学ジャーナル(古典ライブラリー)19号の誌面を借りて「室町戦国の文芸と史料」と題した特集を組んだ。末柄豊氏とともに編纂に当たった。編者のほか、日本文学・日本史の研究者6人から寄稿いただき、反響を得た。
|