最終年度はこれまでの研究を俯瞰し、太平洋表象と作家のホームの感覚との同定をおこなった。19世紀末、R. L. スティーヴンスンと入れ替わるように文壇に登場したルイス・ベックを中間点とし、クックなどの探検家、メルヴィル、スティーヴンスン、ジャック・ロンドン、サマセット・モームに至る200年弱の太平洋表象の歴史を再検証した。「南海小説の系譜におけるLouis Becke」としてまとめたものが、今年度の具体的な成果となる。本研究の題目にもある「ホームの感覚」については、前年度までは「太平洋世界に身を投じているものの、没入しきれない感覚」として捉えてきたが、今年度の研究において浮かび上がってきたのは、太平洋世界をヨーロッパ化しようとする無邪気な欲望である。宣教師は異教徒の救済を考え、スティーヴンスンなどの太平洋世界に同情的な作家は現地の文化や風習を尊重しようとしたものの、彼らの記録や書簡からは遅れた島民を教化するヨーロッパ人の優越的な姿勢がしばしば垣間見える。無邪気な欲望と形容するのは、西洋人の善意による島の文明化が、のちにそこを訪れる彼らの子孫にとっては快適な場所、すなわちホームの拡張に収斂していくからである。モームの作品においては、太平洋は褐色の肌の人々が流暢な英語を操り、エキゾチックな雰囲気の中で西洋風の料理を振る舞う場所となる。太平洋の島はもはや未知の土地ではなく、拡張された西洋である。別の角度から見ると、上記の作家たちが抱いていたのは、自分の場所であるものの占有しきれない感覚であり、様々な表象形態は彼らの居心地の悪さの解消手段としても考えられる。そうした感覚はヨーロッパの都市部を舞台にしたコンラッドの物語において、登場人物が覚える違和感とも通底しており、異なるテーマの作品研究への応用が期待できる。
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