本研究課題は、ロシア正教会によって「聖人」に列せられたロシア帝国最後の皇帝ニコライ二世に対する崇敬の歴史と現状について分析した。 近年、とりわけ2022年のウクライナ侵攻後のロシアにおいて、「ロシア世界(Russkiy mir)」と呼ばれる言語、信仰、歴史的記憶を共有する共同体の重要性が強調されている。これは、世俗の国境線や民族の違いを超越したトランスナショナルな共同体であり、ロシア正教会は「ロシア世界」の領域を現実的に管轄する能力を持つ、ほとんど唯一の組織として地政学的な重要性を持つとされている。ニコライ二世が象徴する時代のロシア帝国は、現在の「ロシア世界」の理念と重なる部分も大きい。その最たるものが、正教会の歴史的伝統や正教信仰という「共通性」を軸とした、ロシア・ウクライナ・ベラルーシのルーシ民族の「一体性」の強調である。 また2018年以来、ウクライナにおける正教会の独立をめぐって、ロシア正教会はコンスタンティノーポリ世界総主教との対立を深めており、東方正教の世界における独立教会のパワーバランスは、世俗国家の外交とますます密接に結びつけられている。 こうした現状を踏まえつつ、最終年度においては、ロシア正教会における君主主義の影響力や、「ロシア世界」の理想について検討し、ロシア正教会が訴える献身の精神や大国主義的な歴史認識についての今日的な影響力について明らかにすることを試みた。 その成果として、最終年度においては、1冊の著書、1本の学術論文、1本の翻訳論文、1回の国内学会における発表を行ったほか、多数の市民講座や一般向けの論考を発表することができた。
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