欧米では社会事業の発展に女性が大きく貢献したと評価されている。それに比し、日本では、社会事業の牽引役は男性であった。欧米の状況は女性の社会参加の門戸が制限されていた当時の事情が影響しており、女性は社会進出の舞台として社会事業を選んだという背景がある。日本でも戦前、女性解放運動の一環として、社会事業が射程にいれられた時期があるがそれがあまり功を奏さなかったことは歴史が語るところである。本研究では、その背景、要因を追究し、日本の社会事業を国際的なレベルで相対化し、今後の社会福祉の在りかたを展望する材料としたい。 (1) 日本の状況を相対化するために、アメリカのソーシャルワークの創設に貢献したのが女性であったのは"female profession"として女性の社会進出と密接に関係があったことを明らかにする。 (2) 日本でも方面委員が制度化される過程で女性の登用が主張された時期があったが、それが女性の社会進出の舞台となることは期待できなかった。その背景、要因を究明する。 (1) 方面委員制度のモデルの一つはエルバーフェルト制度と言われるが、当時、同制度は限界が指摘され、名誉職と有給の公務員を併用したストラスブルク制度がより高く評価されていた。一方、日本でも方面委員が制度化される過程でストラスブルク制度が注目されている。同制度は女性の登用を進めたとされていることから、両制度について女性の社会進出という文脈でさらに詳しく追究、検討する。 (2) 日本ではなぜストラスブルク制度ではなくエルバーフェルト制度だったのか、この要因、背景を追究する。 (3) 日本では、欧米に比し社会事業の展開に女性が貢献し得なかった理由を、考察する。 (1) 日本の当時の社会事業に対して、女性の社会進出という視点による再評価を行う。 (2) 女性の側のアプローチの仕方についての検討を行う。 (4) 本研究を通じ、国際交流、国際貢献を行う。
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