本研究は、北海道をフィールドとして、新制高等学校定着期に見られる市町村立から北海道立への公立高校設置者変更について分析し、中等教育機関の設置者のあり方を検討しようとするものである。 今年度は昨年度に引き続き、学校史を収集し、移管が行われた地方新聞の記事の検索を行った。これに加え、さしあたり昭和25年から昭和41年までの17年間北海道議会議事録を縦覧し、市町村立高等学校を道立移管する際の議論を抽出した。の閲覧を開始し、移管が行われる際の道議会での議論の分析に着手した。その結果、 1.当初から市町村立高等学校は道立移管をもくろんで開設されていること(そのため経常費負担を免れるため整備費用の支出のため相当な無理をしていること) 2.移管条件が厳しいとしばしば道会議員が道庁や教委を指弾していること(道教委にとっては移管後の臨時支出は可及的避くべきであったこと) 3.道庁、道教委は道財政の様子を見ながら移管の可否を決めていること(すなわち移管が調整弁としての役割を果たしていること) 等が明らかとなった。さらに、議事録では道立移管を「昇格」とする発言が頻繁に確認されることから、道教委が昭和25年に「学校差観念を除去する」として公立高校には設置者を冠しないことを求め、実際にこの措置によって北海道立、市町村立といった設置者は道内公立高校の名称からは判別できなくなってはいたが、一方に依然として道立を格上とする心性が根強く残っていたことも指摘できる。 この道立志向は戦前からの系譜を引き継ぐものであり、このメンタリティが経済的な負担を克服する厳選となっていたことが予測される。 最終年度は、補足的な資料収集を行うとともに、上記のような本年度の成果をふまえた議事録の本格的な整理と分析に着手する。
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