本研究は、北海道をフィールドとして、新制高等学校の増設期に見られる市町村立から北海道立への公立高等学校の設置者変更についてその議論の過程を分析し、中等教育機関の設置者のあり方を検討しようとするものである。最終年度では、北海道議会議事録を(前年までの昭和41年度までに加え)さらに昭和55年まで閲覧し、移管をめぐっての議論の本格的な分析を行った。その結果、 1. 1950年代には五月雨式に移管が行われていること、その背景には道が財政難を理由として移管には消極的であった一方、各地では猛烈な移管にむけての運動や陳情が展開されており、結果、散発的な移管となったと考えられること 2. 1960年代には地方財政法や高等学校標準法を楯に、移管にむけた積極的な取り組みを議会が道に促すようになった一方、移管問題が選挙対策に有効であるという認識が醸成されはじめ、単なる財政問題を越え、政治課題となっていったこと 3. 1970年代には移管から取り残された市町村立高校を救済するため移管条件の緩和をもとめる道議会に対し、道庁道教委はそれまで地元負担で移管を果たした市町村との均衡を欠く、という公平論でそれを封じ込めようとしていたこと 4. 総じて、高等学校の移管問題は、戦前北海道の中等学校の移管問題と、移管システム、移管の条件、移管の動機という点で類似しており、連続性を指摘できること 等を明らかにした。上記の成果については、日本教育制度学会において口頭発表を行った。
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