研究概要 |
(1)本研究が対象とする1910-30年代のアメリカ合衆国大学史では、従来、アカデミック・フリーダムと大学人との関係が一つの大きなテーマとなっていたものの、女性教員はほぼ無視されていた。しかしながら、いわゆる"反戦""非米"を理由に多くの女性教員が大学を追われる(馘首される、あるいは契約更新を拒否される)ケースは頻発している(Vassar CollegeのAgathe Richrathなど)。 (2)アメリカ女性大学人協会(American Association of University Women, AAUW、ただし1920年まではAssociation of Collegiate Alumnae, ACA)は、1910年代より、会員である大学卒女性の就職状況や年収の調査を開始しているが、その一環として、全米のDean of Womenを対象にした調査やコンファレンスの開催を進めていた(Lois MathewsのThe Dean of Women.(1915)の出版はその成果の一端であった)。 (3)「第一世代」の中から、大学教員となった年長者が、世紀転換期(1890-1910)に高等教育を受けた「第二世代」の女性たちにたいして積極的におこなったメンター=メンティー関係の事例として、DePauw UniversityのKatharine Sprague Alvord、University of MichiganのMyra Beach Jordanを挙げることができる。 (4)American Association of University Womenのジャーナル(1900-1955年分)をマイクロフィルムからTIFF画像として読み込み、さらにOCR処理による全文データベースに加工した。これによって、これまで一般の人名録等では補足できなかった女性大学人のバイオグラフィー情報を拾い出すことが可能になった(たとえば、Ella Gertrude Shorb Martinなど)。
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