本研究は、東部アナトリアのクルド系の部族勢力を中心とした社会が、オスマン朝支配下でどのような変容を遂げていったのか、さらにはオスマン朝の地方支配体制より、この王朝の国家体制について明らかにすることを目的としている。東部アナトリア社会の全体像を把握するためには、支配層だけではなく、被支配層である非ムスリムの存在形態とその歴史的な変容過程について研究をすすめる必要がある。そのために、今年度は、東部アナトリアにおけるムスリムと非ムスリムの人口構成について分析をすすめるための史料と関連文献を調査・収集することを主たる目的とした。 今年度は、夏期から秋期にかけてインターネットを通じて一次史料や関連文献の予備調査を行った後、秋期に約1ヶ月にわたり、トルコ共和国イスタンブル市に所在する総理府オスマン文書館で史料調査を行った。同文書館では、16世紀から17世紀にかけての東部アナトリアの人口構成に関する史料を主に調査し、検地台帳を中心に、必要な文書をコピーまたはCDとして複写・収集した。また、同じくイスタンブル市内にあるイスラーム研究センター附属図書館にて文献調査を行い、関連する論文や研究書をコピーとして複写・収集した。日本に帰国した後は、収集した文書史料と関連文献のいずれについても、まず資料用データベースを作成し、さらに紙媒体で収集した文書史料に関しては、パソコンに取り込み、画像処理をした上で、保存しておいた。冬期以降は、収集した文書史料の読解と同時に、全史料のアラビア文字からローマ字転写を行い、必要に応じて日本語への翻訳作業を行った。その後、史料から得られたデータをもとにデータベースを作成し、データの分析をすすめつつある。
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