本研究の目的は、プラトン『国家』のうちに新たな徳倫理学の可能性を示すことである。この目的のために以下の2点の論証を行った。これらの論証は知性主義的な徳倫理学の新たな可能性を示すことになるであろう。 ① イデア論と哲人統治者は普遍的な真理を謳う宣言ではなく、真理への接近可能性を確保するための枠組みであり、それは真理をめぐる哲学的熟議の可能性をもたらすこと。 ② 善のイデアが語られる中心巻へのアプローチのために、円環的構成という観点から対話篇全体を分析し、なぜイデア論が哲学的な脱線と呼ばれるのかを明らかにすること。
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